生存戦略

ひなたんと山岸と佐渡

じゃぽん

佐渡です。

 

ミサンガがちぎれた翌日に、玉ねぎをみじん切りしている最中に指を切りました。

とにもかくにも痛かった。。。

 

長かったケニア滞在も残りわずかとなり、あと6日で帰国です。

うれしい!とにかくうれしい!!

 

帰国した日は、ピアと再会して、ぼんばか家でご飯をたべて、ふかふかのベッドでねることが今の一番の楽しみ_(:3」∠)_

 

昨日、大人たちと話をしていて、住んでいる街にマーキングをしておくとたまに戻った時に当時に帰れるといっていた。

1人は、田町の喫茶店。もう1人は東京タワー間近の民宿。

 

行きつけっていいなーと思ったので、帰国したら、

バー、喫茶店、ラーメン屋、串カツ屋、

あたりでいきつけにしたくなる店を探そう。

 

どれくらい通えばいいのかな。

 

佐渡

 

スマイル

佐渡です。

 

出国前にピアからもらっていたミサンガがちぎれました。

たしか、これはクリスマスプレゼント。

 

「一人暮らし始めたいからお金貯めてて、こんなのでごめんね」

って言ってた。

 

全然気にしてないけどね。

というか、時間をかけて作ってくれたミサンガの方が、お金出せば買える何かより大切にしたくなるから、嬉しかった。

 

ミサンガってすごいなと思う。

左足に結びつけてるんだけど、普段は気にならないのに、靴下を脱ぐ時とか風呂に入るときにだけ意識上に現れる。

 

そのタイミングとか頻度が絶妙で、1日の気が緩む瞬間に心の中にふっと現れてきて、

「あー、これピアが作ってくれたやつだ。大事にしなきゃ。」

と思わされる。

 

三ヶ月間 離れていたんだけど、全然そんな気がしていないのは、きっとこのミサンガのおかげなんだな。

 

適度に相手を縛りたいなら、ミサンガはオススメです(笑)

 

ちなみに願いは、「無事に帰ること」。

 

あと1週間で帰国なんだけど、今ちぎれちゃった。

これは、無事に帰れるのか...

 

佐渡

 

わんおくはなんかめっちゃ嫌いだったんだけど、taking offの歌詞みてこれだけはめちゃくちゃ好きになっちゃった!

 

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この前見かけたツイートで

 

人は 一緒に堕ちる相手を探してる

 

ってやつあったんだけど、これにもれなくわたしも一緒に堕ちる相手をずっと探してる

堕ちる相手っていうか、一緒に堕ちてってもいいって思えるくらいの相手!

 

 

 

 

 そういえば

大事なひとに大事なことを言うときは直接言ったりせめて電話で言うべきみたいな風潮があるじゃないですか

たしかに顔みて話したり間の取り方だったり声の質感だったりそういう色んな情報が多くて細かいニュアンスが伝わりやすいのかもしれない。

 

けど、わたしはらいんとかメールとか文章で伝えたり伝えられたりするのも好きだなあ

 

なんか証拠?が残るほうがよくない?

かたちとして何も残ってないとどんな感動してもどんどん薄くなっていつかぽっくり忘れちゃうものだし、ね?

 

 

壊れた時計

私の恋愛感覚はおそらく壊れているのだと思う。

時計で例えるならばくるくる回ってしまうものではなくて、一秒を刻むのに十秒かかるような壊れ方だ。ときどき、じれったくなってきて一秒で一時間くらい進んでしまうこともある。とにかくきっと、壊れているのだ。

 

さっきまでお風呂に浸かりながら好きな男の子と電話をしていた。

何度かデートをしているうちに、いろいろあったんだけれども(この話はまた今度するとして)、私のことを好きになってくれて、付き合いたいといってくれた。けれど、私には付き合うということがよくわからない。

 

両想いと付き合うって何が違うの?

好きと好きだったら付き合うのがふつうなの?

付き合うって何をすることを意味するの?

なんで付き合わなきゃいけないの?

 

これでも一応、高校生の時までは「付き合う」ということを経験していたし、まわりの友人たちが「付き合ってる」のを見てきたからなんとなくは分かるんだけど、もっと私を納得させてくれる答えがほしかった。

 

手をつなぐことも、キスをすることも、それ以上のことをするとしてもべつに付き合わなくたっていいじゃないかと思う。夜寝る前に電話したって、日曜日に早起きをして遊びに行ったって、そのまま月曜日までいっしょに居たっていい。お互いの時間を出し合って過ごす時間を増やすことが、付き合うということなのだろうか。

だけど全然会えない遠距離のカップルだっているし、もうわけがわからない。

付き合うというのは相手の行動に干渉する権利を得るということなのか?

だとしたら、私は誰とも付き合いたくないのかもしれない。

 

付き合うということがよくわからないまま4年の月日が流れてしまった。

友人にとりあえずだれかと付き合ってみればわかるよといわれて、出会い系で知り合ったTさんと付き合うことにした。彼は私より5歳年上で、私の目が好きだと言っていた。

 

はじめて会った日はカフェでコーヒーを飲んで、もつ焼きを食べて、そのあと彼の家に行った。テレビを見ながら笑っていたら、ふとキスをされて、そのあとに「付き合おっか」といってきたのだ。ふつうならそこでときめいたり、あるいは怒ったりするのかもしれないけれど、「セックスをしたいがために付き合うことを提案してくる律儀な人なんだな」と思った。

しかし、「わざわざ付き合わなくても...」なんて言えない。私はちょうどだれかと付き合うべきだったし、その提案に乗ることにした。

 

Tさんとは、結局付き合うということがよくわからないまま終わってしまった。

ふだんはほとんど連絡をとらなかったけれど、彼の仕事の休み日は「今から会いたい」と連絡をしてきて、私は「もう家を出れない」と断っていた。

私は彼の休みがいつかも知らないし、休みの日にいっしょにしたいこともなかった。全然好きじゃなかったんだと思う。会いたいと言われたときに焼肉の写真を送ったら、「もう知らん」と言われてそこから連絡がこなくなった。

 だからと言ってこちらから連絡をしたいとも思わない。連絡をしたところで話すこともやりたいこともないし、本当に終わってしまったのだ。なにも始まってなかったのかもしれない。

 

Tさんとの一件があってから、ますます付き合うということがよくわからなくなってしまった。私はだれかと真剣に向き合いたいと思っているけれど、同時に向き合うのがこわくて仕方がない。

 

曖昧な言葉を使って気持ちにずれがうまれるのがどうしてもいやなのだ。

好き、なんてことばは最悪だ。

電話をしていた彼のことは、好きだけれども、嫌いでもある。

私がデートをしたいし電話をしたいし触りたいし好きだと言ってほしい程度には好きだと伝えたら「じゃあ付き合えばいいじゃん」と言われたので、それは違うと答えた。だって付き合わなくたって、全部できるじゃん。付き合わなきゃ出来ないことなんて、ないじゃん。

 

私にはもう1人、好きな人がいる。

好きだということばは曖昧だけれども、一緒にここに行きたいなと 思うことがよくある程度には好きなんだと思う。Tさんには生まれなかった気持ちだから、これを好きということなのではないかと思っているところだ。

彼とはもう4ヶ月くらい毎日連絡を取っていて、一緒に映画を見たり音楽を聴いたり、お酒を飲んだりした。

会うたびにいつも不思議な事件が起きて、笑いが止まらない。映画を見てすぐに泣くところが、かわいいと思う。

 

けれど、手を繋ぎたいともキスをしたいとも思わないし、向こうもきっとそうだろう。用事がないときに電話をかけることもない。

私たちはたぶん、友達なのだ。だけど私はまだ見ぬ男の顔になった彼を見てみたい。見たら正しく好きになるかもしれないと期待しているのだ。

 

電話の彼が隣にいると、自然に手をつないだり、なんにもない日に電話をかけたりしたくなる。これが好きということなのだろうか。

 

私にはどちらも好きな気がするし、どちらも好きじゃない気もする。どちらかを特別にしたら、どちらかへの気持ちをゼロにしないといけないならば、なにもしたくない。

 

付き合うか付き合わないかを100と0にするのは乱暴だと思う。私の気持ちはきっと70くらいで、100を目指しているのだ。電話の彼に、そう伝えると、「つまり好きじゃないってことでしょ?」と言われる。そうなのだろうか。「それならはっきり振ってくれた方がマシだ」と言われるけれど、それがお互いにとっていいことなんだろうか。

もし振るとして、70まで溜まってしまった気持ちは、どこに捨てたらいいのかわからない。100になるまで待ってよっていうと 残酷だと言われる。誰かを傷つけていることに悲しくなる。

 

お互いに好きじゃないのに付き合ったり、好きなのに付き合わなかったり、好きなのかわからなかったり、むずかしい。誰かの特別になりたいけれど、誰も特別にしたくない。

 

 

時計は今も不器用に動き続けている。今が何時かなんて、ぜったいに聞かないでほしい。

 

 

山岸

遥か彼方。

約40年、赤土と森に覆われたアフリカを、Nさんは旅していた。
日々、都市化している日本とは対極にある世界に惚れ込んでしまい、タンザニアに住むことになる。

自分がはまったタンザニアを、もっとたくさんの人に知ってもらいたくて旅行会社を始めた。

騙されたり、脅されたり、たくさんのことを経験しながら今までやってきた。

最近は、アフリカの中でも情勢が良い国が増えてきている。タンザニアもその一つで、旅好きの日本人が度々訪れるようになったそうだ。

Nさんはとても喜びながら、タンザニアを訪れる若者をインターンシップとして受け入れたり、たくさんの情報を提供したりして、タンザニア滞在をサポートしていた。

佐渡もNさんにお世話になっていた1人で、
タンザニアに入るならあの会社のバスがいい」
「泊まる場所を提供することも可能だが、交通の便がいいホテルを紹介するのでそこの方がいいのではないか」
など、メールのみでのやり取りにもかかわらず、とても親切に教えてくれた。

やりとりの最後には、「タンザニアに着いたら、顔を出してください。」と言ってくださった。

今日からタンザニアに入る。
Nさんは、もういない。

オフィスで泡を吹いて倒れ、緊急手術の後に一時的に意識を回復したものの、翌朝目を覚ますことはなかったそうだ。

日本で手術を受けれいれば、もしかしたら助かったのかもしれない。
たらればの話はあまり好きではないが、どうしてもそう思ってしまう。

40年間過ごした国。日本よりも住んでいた期間は長いだろう。

Nさんは人生を全うしたのだろうか。
夢半ばだっただろうが、タンザニアで生きると決めたことに満足しているのだろうか。

いつか、きっと40年以上先のことになろうが、佐渡があちらの世界に行ったとき、偶然にも出会えれば伝えたいと思う。
タンザニアは今もずっといい国です。」

 

あぁ神様僕を 僕を騙してくれないか

 

 

この歌詞どっかで聞いてめっちゃ気に入ってる

10-FEETのヒトリセカイって曲。

 

この曲の歌詞全部じゃなくて、この歌詞のとこだけめちゃくちゃ気に入ってる。

 

 

なんかわりとなんでも丸ごとは好きになれなくても一部をめっちゃ好きになっちゃう変な愛しかたしちゃうねんなあ。🐣

白いエプロン

私は映画館が好きだ。

映画を見ることも好きだけど、そこで食べるキャラメルポップコーンがなによりも好きだ。

見たい映画がなくても、なんとなく暇な時間があれば映画館にいってしまう。

 

そんなときに思い出すのが、Dくんだ。

 

Dくんには、私のほうからメッセージを送った。

なんとなく、さわやかそうな雰囲気だったし、めずらしく同い年だったから。

プロフィール画面には「ハプニングバーにいきたい」と書いてあって、「わたしも興味あります」といったのがはじまりだった。

 

ハプニングバーというのは、大人の遊び場のことである。

なんでもありのアンダーグラウンドな世界。

私は体験したことがないけれど、去年知り合った女の子がハプニングバーは最高だよという話をしてくれたのでなんとなく興味があった。

 

その日は深夜だったこともあって、あまり深く考えずにメッセージを送った。

すぐに返信がきて、じゃあ今度行ってみようということになった。

はじめから性的なことを目的とした出会いというのははじめてだったし、途中で怖気づいてしまったから「入場するのは付き合うけど、すぐに帰っちゃうかも」といったら、「俺も正直びびってる。笑 そしたらいっしょに帰るよ」といってくれた。ハプニングバーの入場料は男性だけだととても高いのだ。カップルだと男性だけの半分くらいで入場することができる。

 

数日後、渋谷で待ち合わせをした。

それまでメッセージをやり取りしていたけれど、顔写真を交換するとか電話をするとかはなかったので、とんでもないブサイクが来たらどうしようかと考えていた。だけどメッセージの言葉遣いが好きだったのでまあいいかという気持ちになって、そのまま会うことにした。

 

近くについたら電話がなった。

優しい雰囲気の声で「今どこ居る?」と言われ、電話をつなげたままちゃんと会うことが出来た。彼もふつうの大学生だった。

 

「ごめん、今からダンボールと芝生を買わなきゃ」

「そうなんだ。じゃああっち行こうか」

 

突然ゼミの先生からおつかいを頼まれた私は、出会ってひとこと目に東急ハンズに行きたいといった。まったく緊張感のない、はじめましての瞬間だった。

彼はそれをバカにするでもなく、ちょっと安心した様子でいっしょに歩いてくれた。

 

結局、そのおつかいは必要なくなって、HUBで飲むことにした。

「やっぱり、ハプニングバーに行くのはこわいね」

「わたしたちにはまだ早いね」

といいながら、お酒を飲んでふつうの大学生の話をした。

 

彼は、理系の大学に通う大学4年生で、都内に一人暮らしをしている。

実家から見える富士山がとてもきれいだから、今度見にきなよといってくれた。

研究室では量子力学?とかをやっているとかで、半分以上何を言ってるかわからなかった。

 

その日は、お互いに「変な人じゃなくてよかった」といっていた。

帰り際、「今度は映画とか見に行きたいね」とさそわれてなんだかとても嬉しかった。

性的な目的で出会ったはずの男女が、純粋な恋愛のはじまりみたいで、くすぐったい。

 

 

それから2回、デートをした。

1回目は私のおすすめのハンバーグランチを食べに行って、それからおいしい紅茶のお店に入った。

「最近白いエプロンを買ったんだよ。料理をするたびに汚れていったらいいかなって思って」

「一人で花屋にいって一輪の花をかって玄関に飾るのが好き」

とか、なんでもない日常の話なのに、とても好きだと思った。

友だちに選んでもらったコートを着ていったら、「素敵なコートだね」といってくれた。

うれしかったから柄にもなくくるっと一周まわってしまった。

 

2回目は、映画を見に行った。

海賊とよばれた男」をみた。キャラメルポップコーンと塩のポップコーンをハーフ&ハーフにして、2人で食べた。

長い映画だけれど、場面の切り替えが多くて、つまらなくはないんだけど、純粋に楽しめないようなそんな映画だった。

エンドロールが流れて、人がまばらになってきたところでDくんは「なんかちょっと疲れたね」といった。

 

私は彼のこういうところがとても好きだと思った。

どうだった?と相手を伺うようでもなく、熱く語りはじめるでもなく、ひとことの感想が私と同じだったから。

 

それから彼とは会っていない。

お互いに卒論がおわったらまた映画を見に行こうとは言っていたけれど、

わたしはなんとなく連絡ができないでいる。

 

あの日予告編が流れて「見に行きたいね」といった映画の公開が、もうすぐはじまってしまう。

 

 

山岸